北方領土 ヤルタ密約 ――― チャーチル 署名不本意

上記は18日産経新聞で報道された重要な記事の題名。

1953年、チャーチル首相がイーデン外相に宛てた書簡の中でヤルタ密約について言う。ルーズベルト米大統領とソ連のスターリン首相が「直接取り決めた」「全ての事項がすでに (米ソで) 合意された後に昼食会で知らされた」と。英国立公文書館で見つかったそうだが、フランクリン・ルーズベルトとスターリンならさもありなん。

フランクリン・ルーズベルトは、時の米大統領でなかったなら日本が大戦に引き込まれることはなかったのではないかと思う人物だ。今、トランプ次期大統領について不安を口にする向きもあるが、フランクリン・ルーズベルトのことを思えば何ほどのことがあろうか。日本にとってフランクリン・ルーズベルトを越える好ましからざる大統領はまだない。トランプはむしろ安倍首相と最初に会った人だ。大筋で期待できるのではないかと思うほどだ。このフランクリン・ルーズベルトあればこそ、世にも恐ろしきスターリンの50万人以上もの日本人「シベリア抑留」という悪魔的行為につながるのだが、フランクリン・ルーズベルトは1945年2月のヤルタ会談のすぐ後、4月12日に死んでしまうから、その後のスターリンの悪行は知らない。

昭和20 (1945) 815日以降もソ連軍は作戦行動を継続。年表「日本軍事史年表-昭和・平成」(吉川弘文館 2012年) を見てみよう。

8. 15 正午、終戦詔書玉音放送。

8. 16 ソ連首相スターリン、米国大統領トルーマンにソ連軍による北海道北部の占領を要求。18日、トルーマンこれを拒否。

8. 23 スターリン、日本兵捕虜50万人のシベリア抑留、強制労働を指令。

8. 25 ソ連軍、大泊を占領。南樺太全土を制圧。

8. 29 ソ連軍、択捉島を占領。

9. 1  ソ連軍、国後島、色丹島を占領。

9. 5  ソ連軍、歯舞諸島占領。千島全島の占領完了。

★「大東亜戦争全史」(原書房・昭和40) には、次の記述と上右の収容所分布図がある。

―――武装解除後各地に集結収容された満州及び38度線以北の北鮮地域の将兵は、更にその後において死にまさる苦難の運命が待受けていようとは誰も考え及ばなかった。 (中略) 各地の作業大隊は残留邦人の涙で見送られ、鉄道貨車に詰め込まれて相ついで氷雪吹き荒ぶシベリア各地の収容所さして送られていった。そして日本民族の歴史上未だ嘗てない忍苦の収容所生活と強制労働が始められた。この間、粗悪な給養と重労働と申訳的な医療のため、故国を思い肉親を夢みつつ異国の土と化した人々は多数に上った。死亡率は、収容所によっては60%の高率を示したのである。

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コメント: 3
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